- Coll949_B004F03_001
- Set
- 1940-06-02
上位の階層安井家文書
1940年6月2日付の井上アイザック牧師から東京女子大学学長安井哲子への手紙。井上牧師からの、オレゴン大学に在籍するフッドリバー出身の学生、安井美智が来日する際の紹介状。井上牧師は、美智に10年間日本語を教えていることを説明し、美智と同級生のドリス・ハンソンが日本に滞在している間、安井学長が指導してくれるよう依頼している。 翻訳注:この文書は現代日本語と英語に翻訳されている。
無題
上位の階層安井家文書
1940年6月2日付の井上アイザック牧師から東京女子大学学長安井哲子への手紙。井上牧師からの、オレゴン大学に在籍するフッドリバー出身の学生、安井美智が来日する際の紹介状。井上牧師は、美智に10年間日本語を教えていることを説明し、美智と同級生のドリス・ハンソンが日本に滞在している間、安井学長が指導してくれるよう依頼している。 翻訳注:この文書は現代日本語と英語に翻訳されている。
無題
ポートランド日本領事館から安井益男への手紙、1930年11月17日
1930年11月17日付のポートランド日本領事館から安井益男への手紙。領事館の公式便箋に印刷された手紙には、安井益男の名前だけが手書きで書き込まれている。日本政府管轄の現地在住邦人調査への協力に対するお礼と、記念品として国勢調査の記章を送付することが記されている。
翻訳注:この文書は、現代日本語と英語に翻訳されている。
無題
1916年4月30日付、野地吉蔵から安井益男への書簡。野路は、妻の渡米を手配してくれた安井に感謝している。野地は1916年7月12日、ワシントン州シアトルで妻・アサヨと結婚した。 翻訳注:この文書は、現代日本語と英語に翻訳されている。
無題
大坪Kから安井益男への1916年7月2日付けの手紙。 大坪は、旭チームが同日午後4時50分の列車に乗り同日中に帰宅できるように、シアトル旭チームとフッドリバーチームとの野球試合の開始時間を、午後2時30分から午後2時に変更することを要請している。
翻訳注:この手紙は、現代日本語と英語に翻訳されている。
無題
安井益男から藤本廉一への1930年7月22日付けの手紙。 この手紙の中で益男は、敬が蚊に刺されたことが原因で病気になったが快復したこと、安井兄弟商会の新店建設の進捗状況と旧店を取り壊す前に全てを移転する予定、建物の特徴や空間の分け方、その年の不況を踏まえた総事業費等について述べている。また、家族、果樹園の商品、ビジネスに関する最新情報、反日感情の高まりに対する懸念、廉一が使用するべき英文レターのサンプルも含んでいる。
翻訳注:この手紙の抜粋部分は、現代日本語と英語に翻訳されている。
無題
上位の階層安井家文書
1908年9月2日消印のポートランドの安井益男からフッドリバーの安井兄弟商会宛の手紙。益男はこの手紙の冒頭で、他の書簡について触れ、受け取った手紙の中の要望を理解していると書いている。労働請負業者としての仕事について、また2日後に始まる仕事の契約を履行する労働者を見つけるのに苦労していることについて述べている。益男は自分の計画性のなさを嘆きつつも、この挫折を成長の機会ととらえ、この仕事に必要な労働者を見つけることを誓うと書いている。また、ポートランドでの買い付けに兄のどちらか一人が同行しないことを残念がっている。益男は、懸命に働く意志を繰り返し、ビジネスや財務に関する多くの事柄に触れている。手紙の最後には、何人もの人々に対して貸付け、あるいは何人もの人々から借りている様々な金額の勘定が記されている。 翻訳注:この文書は現代日本語と英語に翻訳されている。
無題
上位の階層安井家文書
1928年8月6日消印の岡山の安井泰夫から安井益男への手紙。手紙の中で泰夫は、日本にいる家族の近況を伝えている。安井敬からお金を受け取ったことを書き、思いがけない贈り物に感謝の気持ちを表す。また、アメリカから叔父に送られた絵葉書を見て喜びを表現している。泰夫は最後に、益男に手紙をくれるように頼んでいる。
翻訳注:この文書は現代日本語と英語に翻訳されている。
無題
上位の階層安井家文書
片山高志から安井益男と藤本廉一への手紙。日付は記されていないが、益男と廉一の父品太郎が1931年3月に急死した直後に書かれている。手紙の中で高志は、信太郎の突然の死に驚いたこと、葬儀に参列したことを記している。そして、益男と廉一への慰めと応援の言葉を述べるとともに、できる限りの手助けをしたいと申し出ている。高志は、小売業で苦労していることを書き、忙しかったのですぐに手紙を書けなかったことを詫びる。あとがきでは、廉一の来日後、敬のために廉一に切手をことづけなかったことを詫びている。
翻訳注:この文書は現代日本語と英語に翻訳されている。
無題
上位の階層安井家文書
1934年2月27日付の安井益男から安井稔への手紙。手紙の中で益男は、長男であり稔の兄でもある安井敬の命日について稔が送った手紙に感謝の意を表している。益男は敬の死を振り返り、稔をとても誇りに思っていると書いている。そして、敬の墓を訪れ冥福を祈ったこと、稔の代わりに墓に戻り花を供えたことを伝える。益男は、稔に仕送りをし、翌月の帰省の際に稔に会うと約束している。また、稔にリンゴとシャツを送ることも書いている。あとがきでは、山木シゲが失明したことを伝え、稔が山木夫妻に手紙を書くよう依頼している。
翻訳注:この文書は日本語に翻訳されている。
無題
上位の階層安井家文書
1915年7月21日付の金沢牧師から安井益男への手紙。手紙の中で金沢牧師は、スピーチをしたいので益男に主催してほしいと頼んでいる。最近彼の教会で同じような演説が行われ、多くの聴衆が集まったことに触れ、同じように聴衆が集まることを望んでいると述べている。彼はまた、益男の子供たちに洗礼を受けさせ、宗教教育を施すべきだと提案する。
翻訳注:この文書は現代日本語と英語に翻訳されている。
無題
上位の階層安井家文書
8月10日付のふみ子から安井静代への手紙。1936年の消印が押されている。ふみ子は、フッドリバーで開かれたとみられる宗教的な集まりに出席する機会を得たことを喜んでいる。彼女は静代のもてなしに感謝し、ポートランドを訪れるよう誘っている。翻訳注:この文書は現代日本語と英語に翻訳されている。
上位の階層安井家文書
1931年1月8日付の安井ホーマーから藤本廉一への手紙 。ホーマーは、廉一にすぐに家にプレゼントを持って帰ってほしいと書いている。ホーマーはまた、叔母を連れて帰ってくるように頼んでいる。 翻訳注:この文書は日本語に翻訳されている。
無題
Masuo Yasui personal diary, 1923
上位の階層安井家文書
Diary written by Masuo Yasui from 1923, with daily entries. The diary was pre-printed with space for one day per page, entries are written in Japanese. Topics covered include his day to day business and family life, his grief following the death of his daughter Yuki in 1922, the response of the local Japanese community to an earthquake in Japan, reflections on the Oregon Alien Land Law, and the birth of his son Shu (who later changed his name to Robert). Selected entries have been translated into modern Japanese and English.
無題
安井益男から三宅静代へのグリーティングカード、1911年4月7日
上位の階層安井家文書
1911年4月7日付のオレゴン州フッドリバーの安井益男から日本の三宅静代に宛てたグリーティングカード。英語と日本語で書かれたこのカードには、益男が静代の愛を受け入れ、二人が結ばれて残りの人生を共に生きることを約束すると書かれている。翻訳注:この文書は現代日本語と英語に翻訳されている。
無題
オレゴン州日本人会から安井益男への手紙。オレゴン州日本人会教育部が、フッドリバー、パークデール、ディーを訪問し、この地域の第二世代の教育に役立てるため、コミュニケーションを確立することを提案している。
翻訳注:この文書は、現代日本語と英語に翻訳されている。
無題
安井益男が日本領事に宛てた反日法案撤回に伴う手紙の下書き、1917年3月21日
安井益男が赤松(赤松祐之)日本領事に宛てた反日法案撤回に伴う手紙の下書き 。この手紙はフッドリバーの日本人住民一同からとして書かれたもので、オレゴン州上院議員ジョージ・R・ウィルバー氏(フッドリバー在住)が提出した日本人のオレゴン州での不動産所有を制限する法案を撤回するよう赤松領事が尽力したことに感謝する旨が述べられている。この法案は、カリフォルニア州で可決された同様の法案に倣ったものであった。
翻訳注:この文書は、現代日本語と英語に翻訳されている。
無題
安井益男のフッドリバー・アップル生産者組合理事への再選を知らせる手紙
安井益男がフッドリバー・アップル生産者組合の理事に最高得票数で再選されたことを知らせる手紙。また、協会の歴史や開票結果の補足についての概要も記載。3ページ目から5ページめには手紙の大まかな下書きが含まれている。 翻訳注:1ページ目と2ページ目の手紙の最終稿が現代日本語と英語に翻訳されている。
大坪Kから安井益男への 1916年6月27日付けの手紙。その中で大坪は、シアトルの旭野球チームが7月4日にフッドリバーで試合をしたいので、益男に地元の野球クラブと交渉して手配するよう要請している。
翻訳注:この手紙は、現代日本語と英語に翻訳されている。
無題
上位の階層安井家文書
1930年9月8日付の藤本廉一から安井益男への手紙。手紙の中で廉一は、日本を再出国するためのビザを申請中であり、その許可を得るために特定の書類が必要であると書いている。領事館から許可を得るために提出しなければならないとして、廉一がシアトルで益男に渡した上陸許可証を送るよう要請している。翻訳注:この文書は現代日本語と英語に翻訳されている。
無題
上位の階層安井家文書
1944年11月5日付の藤本廉一から安井剛への手紙。手紙の中で廉一は、2人の妊娠の知らせに喜びを表している。納税を済ませたこと、軍に許可を申請してフッドリバーに行き、剛の仕事を手伝うつもりであることも書いている。また、知人がフランスでの戦闘で負傷したという知らせも伝えている。翻訳注:この文書は現代日本語と英語に翻訳されている
無題
上位の階層安井家文書
日付不明の匿名者から安井兄弟商会への手紙。手紙の主は安井兄弟に、最近起きた日本人ドライバーの交通事故は、追突された車の運転手フレッド・クレイグが金を得ようとして計画したものだと告げる。手紙の主は、クレイグは過去に反日的な感情を表明していたと述べ、日本人の運転手がクレイグに金を払わないよう警告している。彼はまた、安井兄弟にこの手紙を秘密にするよう求めている。
翻訳注:この文書は日本語に翻訳されている。
安井益男からフッド・リバー日本人金融組合員宛の書簡の下書き 、1921年1月15日
上位の階層安井家文書
1921年1月15日付のフッドリバー日本人金融組合のマネージャーとして安井益男が組合員に宛てた手紙の下書き。前年6月3日付で当組合が法的に解散したことを伝え、株主への払い戻しや配当金の支払いについて述べている。組合の存続期間中の収入と支出の概要を説明し、株主への配当金の計算方法について情報を提供している。彼は、株主は支払い計画の特定の詳細を承認する必要があり、将来のある時点でこの件に関する投票を求められることを明らかにしている。
翻訳注:この文書は現代日本語と英語に翻訳されている。
無題
上位の階層安井家文書
柄澤茂登から安井静代に宛てた、静代の息子敬の死を悼み、悲しみを伝える手紙。茂登はその知らせに衝撃と悲しみを表し、幼い頃の圭の思い出を語る。茂登は、死んだわが子を思って悲しみが止まらなかった母親が、その子の魂があの世で安らぎを得るのを妨げたというエピソードを語る。茂登は静代に、これ以上敬のことを嘆き悲しまないよう懇願し、敬と静代、そして安井家の他の家族のために祈りを捧げる。
翻訳注:この文書は現代日本語と英語に翻訳されている。
無題
Masuo Yasui personal diary, 1908
上位の階層安井家文書
Diary written by Masuo Yasui from 1908, with daily entries of his time in Portland. The diary was pre-printed with space for one day per page, entries are written in Japanese. Topics covered include his day to day business, his work facilitating employment for other Japanese immigrants, and the beginnings of the Yasui Brothers Store in Hood River, Oregon. Selected entries have been translated into modern Japanese and English.
無題
上位の階層安井家文書
1930年8月15日付の藤本廉一から安井敬への手紙。廉一は敬に、絶版になった日本語の本を取っておいてほしいと頼む。彼は、手に入らなくなった日本語の本を地元の書店が元より高く買い取ることに同意したことを伝える。翻訳注:この文書は現代日本語と英語に翻訳されている。
無題
安井敬からW.H. ウエバーへの手紙、1927年11月12日
上位の階層安井家文書
安井敬からシカゴのW・H・ウェーバーに宛てた1927年11月12日付の手紙の下書き。敬は、3月から体調を崩している父親に代わって手紙を書いたと書いている。父がウェーバー氏への借金を心配していること、前年のリンゴの不作とリンゴ価格の低迷が家計に打撃を与えたことを伝えている。敬は、安井家やこの地域の他の生産者にとって、リンゴ栽培が採算に合わなくなった他の要因についても書いている。秋にウェーバー氏に会えなかったことを父が残念に思っていること、回復次第、シカゴのウェーバー氏を訪ねるつもりであることを記している。
翻訳注:この文書は日本語に翻訳されている。
無題
安井益男・静代代夫妻から葬儀参列者への礼状、1931年3月8日
上位の階層安井家文書
1931年3月8日付の安井益男・静代代夫妻から安井敬の葬儀参列者への礼状。礼状には、受けた親切、同情、支援に対する感謝の気持ちと、与えられた献金に対する感謝が記されている。ヨハネによる福音書3章16節からの引用とともに、賛美歌「はてしも知れぬ」のテキストが印刷されている。翻訳注:この文書は現代日本語と英語に翻訳されている。
無題
上位の階層安井家文書
1929年7月26日付の藤本廉一から安井美智への葉書。廉一は美智に、ワイオミング州のイエローストーン国立公園に到着したこと、彼と彼の仲間で釣りをしていることを報告する。彼は、美智も大きくなったら公園を訪れることができるだろうと書いている。翻訳注:この文書は現代日本語と英語に翻訳されている。
無題