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Portland (Or.) With digital objects
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金沢牧師から安井益男への手紙の現代日本語訳、1915年7月21日

1915年7月21日付の金沢牧師から安井益男への手紙の現代日本語訳。手紙の中で金沢牧師は、スピーチをしたいので益男に主催してほしいと頼んでいる。最近彼の教会で同じような演説が行われ、多くの聴衆が集まったことに触れ、同じように聴衆が集まることを望んでいると述べている。彼はまた、益男の子供たちに洗礼を受けさせ、宗教教育を施すべきだと提案する。
翻訳注:この文書は原本と英訳も掲載されている。

Kanazawa, Keijiro, Reverend

藤本廉一が岡山県知事の桧垣直右に提出した海外渡航許可申請書の現代日本語訳、1903年9月18日

1903年9月18日付で藤本廉一が岡山県知事の桧垣直右に提出した海外渡航許可申請書の現代日本語訳。申請書の中で廉一は、兄の安井泰逸郎と事業に従事するため、オレゴン州ポートランドに5年間渡航する意向を示している。廉一は、兵役のために日本に帰国する前に、アメリカで英語を学び、さまざまな企業で見習いとして働いたことを語っている。彼は、すでに確立しているビジネスを泰逸郎とともに拡大する意図と、その資金調達方法について説明している。
翻訳注:この文書は原本と英訳も掲載されている。

Fujimoto, Renichi, 1883-1965

東野初太郎から安井兄弟商会への手紙の現代日本語訳

東野初太郎から安井兄弟商会への手紙の現代日本語訳。東野は手紙の中で、安井兄弟が妹に与えてくれた好意に感謝し、今後も支援を続けるよう要請している。 翻訳注:この文書は原本と英訳も掲載されている。

Azumano, Hatsutaro, 1895-1956

岡崎恕平の住民票申請書下書きの現代日本語訳、1916年11月

在ポートランド日本領事館に、家族の用事で日本に戻るための臨時パスポートの発行を依頼する岡崎恕平の在留届のコピー(下書き)の現代日本語訳。岡崎は香川県から移住し、オレゴン州フッドリバーに住居を構えていることが記されている。この書類と2枚目の草稿は安井益男が保管しており、安井が岡崎にこの申請を手伝ったものと思われる。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Okazaki, Johei, approximately 1884-

安井益男の日記の現代日本語訳、1923年9月17日

1923年9月17日付の安井益男の日記の現代日本語訳。益男はその日働き、関東大震災の被災者に送るために寄付された衣類を「慰問袋」に詰めたと書いている。また、息子の剛が病気になったことや、梨の収穫が終わったことも書いている。 翻訳注:この文書は原本と英訳も掲載されている。

Yasui, Masuo

安井益男の日記の現代日本語訳、1912年8月30日

1912年8月30日付の安井益男の日記の現代日本語訳。益男は、静代から渡米を喜ぶ手紙を受け取ったと書いている。その後、汽車でポートランドに向かい、伴商店で開かれた会合に他の数人と出席し、14,000ドルの抵当を借り入れる承認をした。益男は、その日の残りの時間、街でいろいろな人々と交流し、夜更かしをして、最後にホテルにチェックインして夜を明かしたと語る。益男はポートランドで三郎に2度出くわしたが、三郎の泥酔した振る舞いに反感を覚えたと述べている。 翻訳注:この文書は原本と英訳も掲載されている。

Yasui, Masuo

安井益男の日記の現代日本語訳、1912年1月13日

1912年1月13日付の安井益男の日記の現代日本語訳。その中で益男は、午前中はベッドで過ごし、昼食のために起き、夕方には帳簿付けをしたと書いている。そして、静代から届いた手紙のことを書いている。その手紙には、静代が婚姻届のことで悩んでいると書いてあった。益男は、静代がそのことを心配する必要はないと思うと述べ、彼女の両親、そして一般的な日本人の古い世代が、自分たちや若い世代に問題を引き起こすことを嘆く。益男は、自分が静代に送った贈り物や、受け取ったさまざまな手紙について触れている。
翻訳注:この文書は原本と英訳も掲載されている。

Yasui, Masuo

安井益男の日記の現代日本語訳、1908年8月14日

1908年8月14日付の安井益男の日記の現代日本語訳。益男はその日、仕事を探したり、ビジネス上の税金の疑問について説明を受けたり、フッドリバーの新聞2紙に新しいビジネス(おそらく安井兄弟商会の店)の広告を出したり、友人と映画を観に行ったりして過ごす。 翻訳注:この文書は原本と英訳も掲載されている。

Yasui, Masuo

安井益男の日記の現代日本語訳、1908年5月22日

1908年5月22日付の安井益男の日記の現代日本語訳。益男は薔薇祭りの資金集めに奔走した一日を語る。彼は市内を回り、15ドル以上の寄付を集めることに成功した。彼は翌日も募金活動を続けるため、グレッシャムへ行く準備をする。 翻訳注:この文書は原本と英訳も掲載されている。

Yasui, Masuo

安井益男の日記の現代日本語訳、1908年5月20日

1908年5月20日付の安井益男の日記の現代日本語訳。益男は一日中仕事をし、牧師から薔薇祭りに参加するには200ドル必要だから寄付を募ってほしいという依頼に応えた。夕方には銭湯を訪れ、帰りに夕食をとる。 翻訳注:この文書は原本と英訳も掲載されている。

Yasui, Masuo

安井益男の日記の現代日本語訳、1908年4月10日

1908年4月10日付の安井益男の日記の現代日本語訳。手紙を書いたり、友人と買い物に出かけたりと、その日の行動を記録する益男。夕方には日本領事館でポートランド市のバラ祭りの日本委員会の会議に出席し、その後ビュッフェを楽しんだ。益男はその日受け取った手紙のメモも残している。 翻訳注:この文書は原本と英訳も掲載されている。

Yasui, Masuo

安井益男の日記の現代日本語訳、1908年2月7日

1908年2月7日付の安井益男の日記の現代日本語訳。益男は、ポートランドハイツから街を眺めるため、友人の藤代と八巻と夕方の散歩に出かけたことを語っている。彼は街の美しさに感嘆し、日米間に戦争が起こった場合、日本軍がこの街を占領する可能性について考えている。益男は教会を訪れてその夜を終える。 翻訳注:この文書は原本と英訳も掲載されている。

Yasui, Masuo

安井益男の日記の現代日本語訳、1908年2月25日

1908年2月25日付の安井益男の日記の現代日本語訳。益男はその夜、友人たちとモンタビラの馬小屋で開かれた「金と恋」という芝居を見に行ったことを語っている。出演者の多くは益男の友人だが、素人芝居である。 翻訳注:この文書は原本と英訳も掲載されている。

Yasui, Masuo

安井益男の日記の現代日本語訳、1908年1月18日

1908年1月18日付の安井益男の日記の現代日本語訳。益男は、片山と公園に行って街の景色を眺めたり、片山のコックとしての雇用条件の交渉に同行したりしたことを語っている。その後、当市の領事館の主任である相羽氏の送別会に出席する。 翻訳注:この文書は原本と英訳も掲載されている。

Yasui, Masuo

安井益男の日記の現代日本語訳、1908年1月15日

1908年1月15日付の安井益男の日記の現代日本語訳。益男は、領事館に在留証明書を取りに行ったり、大坪氏や橘高氏の仕事を手伝ったりと、その日の活動について書いている。彼は、自分のことよりも人助けに時間を費やしすぎていること、自分の善行が評価されないことに不満を抱いている。 翻訳注:この文書は原本と英訳も掲載されている。

Yasui, Masuo

安井益男の日記の現代日本語訳、1908年1月12日

1908年1月12日付の安井益男の日記の現代日本語訳。益男は、午後は好天に恵まれ藤代氏とポートランド周辺の景色を眺めに出かけたと書いている。彼はフッド山とセント・ヘレンズ山の印象を綴り、街の美しさに感嘆している。 翻訳注:この文書は原本と英訳も掲載されている。

Yasui, Masuo

安井益男の日記の現代日本語訳、1906年4月21日

1906年4月21日付の安井益男の日記の現代日本語訳。益男は、数日前にサンフランシスコを襲った大地震のニュースを聞いたことについて書いている。街は大きな被害を受け、市民は衣食住の不足に悩まされているだけでなく、犯罪の被害にも遭っているという。益男は、ポートランドの人々は救援活動のために食料や物資を送っており、その結果、地元の食料品店では品不足に陥っていると書いている。                            翻訳注:この文書は原本と英訳も掲載されている。

Yasui, Masuo

安井益男の日記の現代日本語訳、1905年6月20日

1905年6月20日付の安井益男の日記の現代日本語訳。益男はその日働いたこと、希望した場所に行くパスをもらったことを書いている。彼はまた、ポートランドでさらに勉強を続けることを含む益男の将来の計画について、兄と話し合ったことについても書いている。益男は兄に無駄遣いはしないと約束し、勉強を最後までやり遂げる決意を述べている。 翻訳注:この文書は原本と英訳も掲載されている。

Yasui, Masuo

安井益男の日記の現代日本語訳、1905年5月28日

1905年5月28日付の安井益男の日記の現代日本語訳。益男は、自分と2人の兄の間に起こった出来事を語っている。益男はベッドで寝たふりをしていて、二人が自分のことを話しているのを耳にする。益男が兄たちに相談することなく、ポートランドに行く許可を求める手紙をポカテロに送ったため、泰逸郎が怒っていることを知る。後日、益男と廉一はこの件について話し合い、益男は泰逸郎の厳しい言葉に傷ついたことを打ち明ける。益男は、お金を貯めていて、進学のためにポートランドに行くつもりだと明かす。廉一はこの計画を支持し、後押しする。その後、益男と泰逸郎は口論をし、廉一は仲を取り持とうとする。やがて兄弟は和解し、益男は泰逸郎の反感に対する悲しみを綴る。 翻訳注:この文書は原本と英訳も掲載されている。

Yasui, Masuo

安井益男のアメリカ市民権試験予習ノートの現代日本語訳、1953年

安井益男が米国市民権試験準備のための学習補助用に作成したノートの現代日本語訳。アメリカ合衆国憲法、権利章典、連邦政府、アメリカ合衆国の歴史、オレゴン州憲法、オレゴン州の歴史、政府、地理、マルトノマ郡とポートランド市の統治など。安井益男と静代は1953年に市民宣誓を行った。
翻訳注:この文書は原本と英訳も掲載されている。

Yasui, Masuo

安井益男から安井泰逸郎への手紙の現代日本語訳、1908年7月18日

1908年7月18日付の安井益男から安井泰逸郎への手紙の現代日本語訳。この手紙の中で、益男はフッドリバーで事業を立ち上げる際に遭遇した逆境、特に日本人農業労働者の請負業を始めた吉成氏との予期せぬ競争について述べている。彼は泰逸郎に、彼らの事業は成功すると安心させ、現在のビジネス上の困難を克服する能力をもっと信用させようと試みている。1908年7月16日付の藤本廉一からの英文電報を同封している。
翻訳注:この文書は原本と英訳も掲載されている。

Yasui, Masuo

安井益男から安井泰逸郎と藤本廉一宛の葉書の現代日本語訳、1906年1月24日

オレゴン州ポートランドの安井益男から、モンタナ州ウィリス(後にグレンと改名)の安井泰逸郎と藤本廉一宛に届いた葉書(1906年1月24日消印)の現代日本語訳。このメッセージの中で益男は、日本の出版社である博文館に注文を出したことを兄達に報告している。また、彼らのためにスーツやオーバーコートを探したが、適切なスーツが見つからなかったことも書かれている。先にオーバーコートを買ってほしいか、それとも両方同時に買えるようになるまで待ってほしいかと尋ねる。あとがきで益男は、カードの表に描かれたリンゴの花のイラストは、彼がハウスボーイとして働いていた家の娘が描いたものだと書いている。このカードの宛名はフランク・T・ヤスイである。この名前のミドル・イニシャルは兄弟を表し、この場合、"T "は泰逸郎を意味する。
翻訳注:この文書は原本と英訳も掲載されている。

Yasui, Masuo

安井益男から安井泰逸郎と藤本廉一宛の手紙の現代日本語訳、1907年12月12日

1907年12月12日付の安井益男から安井泰逸郎と藤本廉一宛ての手紙の現代日本語訳。 この手紙の中で益男は、ポートランドの白人と日本人に対する近年の経済不況の影響について述べている。彼は失業と賃金の低下について述べ、日本人の宿屋組合が宿泊と食事の料金を値上げしたことについて不満を述べている。殺伐とした経済状況がいかに犯罪の増加につながったかを書き、犯罪を犯す人々の行動や態度に失望を表明している。
翻訳注:この文書は原本と英訳も掲載されている。

Yasui, Masuo

安井益男から安井兄弟商会宛の手紙からの抜粋の現代日本語訳、1908年9月2日

1908年9月2日消印の安井益男からフッドリバーの安井兄弟商会宛の手紙からの抜粋の現代日本語訳。益男はこの手紙の冒頭で、他の書簡について触れ、受け取った手紙の中の要望を理解していると書いている。労働請負業者としての仕事について、また2日後に始まる仕事の契約を履行する労働者を見つけるのに苦労していることについて述べている。益男は自分の計画性のなさを嘆きつつも、この挫折を成長の機会ととらえ、この仕事に必要な労働者を見つけることを誓うと書いている。また、ポートランドでの買い付けに兄のどちらか一人が同行しないことを残念がっている。益男は、懸命に働く意志を繰り返し、ビジネスや財務に関する多くの事柄に触れている。手紙の最後には、何人もの人々に対して貸付け、あるいは何人もの人々から借りている様々な金額の勘定が記されている。
翻訳注:この文書は原本と英訳も掲載されている。

Yasui, Masuo

安井品太郎から藤本廉一、安井益男と静代への手紙の現代日本語訳、1928年3月24日

1928年3月24日付の安井品太郎から藤本廉一、安井益男と静代への手紙の現代日本語訳。手紙の中で品太郎は、益男が前年に病気であったことを知って驚き、その知らせが家族全員に大きな心配をかけたことを伝えている。そして、益男が完治したことを喜び、良い結果が出るよう祈っていると書いている。彼は森田セキ氏が米国に帰る際に干し柿を託すことを約束している。品太郎は、廉一と松代が日本を訪れることを望み、泰夫と憲夫が新しい学校に入学したことを伝える。
翻訳注:この文書は原本と英訳も掲載されている。

Yasui, Shinataro, approximately 1853-

在ポートランド日本帝国領事館からの日本の兵役徴兵に関する通知の現代日本語訳、1926年11月10日

1926年、在ポートランド日本帝国領事館から、日本兵として徴兵される人への通知の現代日本語訳。通知の内容は、徴兵適齢期および徴兵延期の申請が必要な者について、徴兵適齢期および徴兵延期申請の通知手続き、在留証明書の発給期間、在留証明出願手続き、在留登録など。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Japan. Sōryōjikan (Portland, Or.)

冨廣専一から安井益男への手紙の現代日本語訳、1934年12月31日

1934年12月31日付の冨廣専一から安井益男への手紙の現代日本語訳。手紙の中で冨廣は、益男が日米工業協会から表彰されたことを祝福している。そして、益男の功績につながった努力への賞賛と、益男の妻と兄のサポートへの謝意を述べている。
翻訳注:この文書は原本と英訳も掲載されている。

Tomihiro, Senichi

中村豊一領事から安井益男への手紙の現代日本語訳、1934年12月19日

中村豊一領事から安井益男への1934年12月19日付けの手紙の現代日本語訳。 中村領事はこの手紙の中で、産業上の優れた功績に対して日本産業協会から益男が表彰されることを通知している。 翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Nakamura, Toyoichi, 1895-

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