- Coll949_B017F02_001
- Item
- 1953
Part of 安井家文書
安井益男が米国市民権試験準備のための学習補助用に作成したノート。アメリカ合衆国憲法、権利章典、連邦政府、アメリカ合衆国の歴史、オレゴン州憲法、オレゴン州の歴史、政府、地理、マルトノマ郡とポートランド市の統治など。安井益男と静代は1953年に市民宣誓を行った。
翻訳注:この文書は現代日本語と英語に翻訳されている。
Yasui, Masuo
Part of 安井家文書
安井益男が米国市民権試験準備のための学習補助用に作成したノート。アメリカ合衆国憲法、権利章典、連邦政府、アメリカ合衆国の歴史、オレゴン州憲法、オレゴン州の歴史、政府、地理、マルトノマ郡とポートランド市の統治など。安井益男と静代は1953年に市民宣誓を行った。
翻訳注:この文書は現代日本語と英語に翻訳されている。
Yasui, Masuo
Part of 安井家文書
1923年9月17日付の安井益男の日記。益男はその日働き、関東大震災の被災者に送るために寄付された衣類を「慰問袋」に詰めたと書いている。また、息子の剛が病気になったことや、梨の収穫が終わったことも書いている。
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Yasui, Masuo
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1923年2月18日付の安井益男の日記。益男は、子供たちとの用事や娘由紀の墓参りなど、その日の出来事を綴っている。そして、由紀が亡くなってから110日が経ったことを述べ、由紀との思い出と、由紀が亡くなったことへの悲しみを綴っている。
翻訳注:この文書は現代日本語と英語に翻訳されている。
Yasui, Masuo
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1912年11月4日付の安井益男の日記。益男は入国管理局の職員から尋問を受け、益男自身と静代との関係について質問されたことについて書いている。面接はうまくいき、静代は上陸を許可される。その後、益男は親戚の片山の尋問にも同席を求められる。片山は益男が金を借りていると主張するが、益男はそれを否定する。益男は入国審査官に二人の信頼関係を認めさせ、片山の新妻は上陸を許可される。彼はその経験に非常に心を痛めた。その後、二組は郡の役所に婚姻届を提出し、写真館で写真を撮り、食事をし、合同結婚式を挙げる。その日はお祝いの食事で締めくくられ、益男は結婚したこの日に思いを馳せる。
翻訳注:この文書は現代日本語と英語に翻訳されている。
Yasui, Masuo
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1912年8月30日付の安井益男の日記。益男は、静代から渡米を喜ぶ手紙を受け取ったと書いている。その後、汽車でポートランドに向かい、伴商店で開かれた会合に他の数人と出席し、14,000ドルの抵当を借り入れる承認をした。益男は、その日の残りの時間、街でいろいろな人々と交流し、夜更かしをして、最後にホテルにチェックインして夜を明かしたと語る。益男はポートランドで三郎に2度出くわしたが、三郎の泥酔した振る舞いに反感を覚えたと述べている。
翻訳注:この文書は現代日本語と英語に翻訳されている。
Yasui, Masuo
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1912年1月13日付の安井益男の日記。その中で益男は、午前中はベッドで過ごし、昼食のために起き、夕方には帳簿付けをしたと書いている。そして、静代から届いた手紙のことを書いている。その手紙には、静代が婚姻届のことで悩んでいると書いてあった。益男は、静代がそのことを心配する必要はないと思うと述べ、彼女の両親、そして一般的な日本人の古い世代が、自分たちや若い世代に問題を引き起こすことを嘆く。益男は、自分が静代に送った贈り物や、受け取ったさまざまな手紙について触れている。
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Yasui, Masuo
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1908年8月14日付の安井益男の日記。益男はその日、仕事を探したり、ビジネス上の税金の疑問について説明を受けたり、フッドリバーの新聞2紙に新しいビジネス(おそらく安井兄弟商会の店)の広告を出したり、友人と映画を観に行ったりして過ごす。
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Yasui, Masuo
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1908年5月22日付の安井益男の日記。益男は薔薇祭りの資金集めに奔走した一日を語る。彼は市内を回り、15ドル以上の寄付を集めることに成功した。彼は翌日も募金活動を続けるため、グレッシャムへ行く準備をする。
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1908年5月21日付の安井益男の日記。益男は、薔薇祭りのために寄付を集める方法を練るため、他の数人とミーティングをしたことを書いている。そのグループは、市内のホテルの宿泊客から寄付を募ることに決め、また、近日中にセーラム、グレッシャム、フッドリバーでも寄付を募る計画を立てる。
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Yasui, Masuo
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1908年5月20日付の安井益男の日記。益男は一日中仕事をし、牧師から薔薇祭りに参加するには200ドル必要だから寄付を募ってほしいという依頼に応えた。夕方には銭湯を訪れ、帰りに夕食をとる。
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Yasui, Masuo
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1908年4月10日付の安井益男の日記。益男は、手紙を書いたり、友人と買い物に出かけたりと、その日の行動を記録する。夕方には日本領事館でポートランド市のバラ祭りの日本委員会の会議に出席し、その後ビュッフェを楽しんだ。益男はその日受け取った手紙のメモも残している。
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Yasui, Masuo
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1908年2月25日付の安井益男の日記。益男はその夜、友人たちとモンタビラの馬小屋で開かれた「金と恋」という芝居を見に行ったことを語っている。出演者の多くは益男の友人だが、素人芝居であるため批評は控えている。また、送受信した手紙のメモも残している。
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Yasui, Masuo
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1908年2月7日付の安井益男の日記。益男は、ポートランドハイツから街を眺めるため、友人の藤代と八巻と夕方の散歩に出かけたことを語っている。彼は街の美しさに感嘆し、日米間に戦争が起こった場合、日本軍がこの街を占領する可能性について考えている。益男は教会を訪れてその夜を終える。
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Yasui, Masuo
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1908年1月19日付の安井益男の日記。益男は、翌日片山がフッドリバーに行くための切符を買うために駅に立ち寄ったことなど、その日の行動を振り返る。そこで彼は、初めて会ったシアトルからサンフランシスコに向かう途中の日本人の手助けをした。益男は、片山がポートランドを去るのは残念だが、それが彼にとって最善なことであることはわかっていると書いている。
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Yasui, Masuo
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1908年1月18日付の安井益男の日記。益男は、片山と公園に行って街の景色を眺めたり、片山のコックとしての雇用条件の交渉に同行したりしたことを語っている。その後、当市の領事館の主任である相羽氏の送別会に出席する。
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Yasui, Masuo
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1908年1月15日付の安井益男の日記。益男は、領事館に在留証明書を取りに行ったり、大坪氏や橘高氏の仕事を手伝ったりと、その日の活動について書いている。彼は、自分のことよりも人助けに時間を費やしすぎていること、自分の善行が評価されないことに不満を抱いている。
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Yasui, Masuo
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1908年1月12日付の安井益男の日記。益男は、午後は好天に恵まれ藤代氏とポートランド周辺の景色を眺めに出かけたと書いている。彼はフッド山とセント・ヘレンズ山の印象を綴り、街の美しさに感嘆している。
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Yasui, Masuo
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1905年6月20日付の安井益男の日記。益男はその日働いたこと、希望した場所に行くパスをもらったことを書いている。彼はまた、ポートランドでさらに勉強を続けることを含む益男の将来の計画について、兄と話し合ったことについても書いている。益男は兄に無駄遣いはしないと約束し、勉強を最後までやり遂げる決意を述べている。
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Yasui, Masuo
Part of 安井家文書
1905年5月28日付の安井益男の日記。益男は、自分と2人の兄の間に起こった出来事を語っている。益男はベッドで寝たふりをしていて、二人が自分のことを話しているのを耳にする。益男が兄たちに相談することなく、ポートランドに行く許可を求める手紙をポカテロに送ったため、泰逸郎が怒っていることを知る。後日、益男と廉一はこの件について話し合い、益男は泰逸郎の厳しい言葉に傷ついたことを打ち明ける。益男は、お金を貯めていて、進学のためにポートランドに行くつもりだと明かす。廉一はこの計画を支持し、後押しする。その後、益男と泰逸郎は口論をし、廉一は仲を取り持とうとする。やがて兄弟は和解し、益男は泰逸郎の反感に対する悲しみを綴る。
翻訳注:この文書は現代日本語と英語に翻訳されている。
Yasui, Masuo
Part of 安井家文書
1903年6月6日付の安井益男の日記。益男はシアトルからポートランドへの列車の旅を回想し、風景を描写し、鉄道連絡船でウィラメット川を渡る。ポートランドに到着すると、彼はホテルにチェックインし、旅仲間の東さんに別れを告げ、ベッドに入る。翻訳注:この文書は現代日本語と英語に翻訳されている。
Yasui, Masuo
Part of 安井家文書
1906年4月21日付の安井益男の日記。益男は、数日前にサンフランシスコを襲った大地震のニュースを聞いたことについて書いている。街は大きな被害を受け、市民は衣食住の不足に悩まされているだけでなく、犯罪の被害にも遭っているという。益男は、ポートランドの人々は救援活動のために食料や物資を送っており、その結果、地元の食料品店では品不足に陥っていると書いている。
翻訳注:この文書は現代日本語と英語に翻訳されている。
Yasui, Masuo
1946年1月、安井が出所した直後に書かれた、安井益雄から浅井佐五郎への手紙。この手紙の中で安井は、浅井の友情に感謝し、第二次世界大戦中の日系アメリカ人の強制連行・強制収容に対する悲しみを述べている。また、オレゴン州フッドリバーのアメリカ退役軍人会が、地元の記念碑から日系人兵士の名前を削除した事件についても言及している。また、浅井の息子である正巳が米軍に入隊し、白人住民の反対を押し切って先頭に立ってフッドリバーに帰還したことを賞賛する。また、自分もフッド・リバーに戻りたいという希望を語っている。翻訳メモ:この文書は、現代日本語と英語に翻訳されている。
Yasui, Masuo