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Japanese
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三宅静代から藤本廉一への手紙、1910年7月1日

1910年7月1日付の三宅静代から藤本廉一への手紙 。手紙の中で、美しい果物の絵が描かれた手紙を受け取ったこと、弟の悦治と三郎の近況が記されている。また、廉一から届いた葉書の中の小刀について尋ね、続けてアメリカへの移住を希望していることが書かれている。静代は1912年に安井益男と結婚した。
翻訳注:この手紙は、現代日本語と英語に翻訳されている。 

Yasui, Shidzuyo, 1886-1960

野地吉蔵から安井益男への手紙、1916年4月30日

1916年4月30日付、野地吉蔵から安井益男への書簡。野路は、妻の渡米を手配してくれた安井に感謝している。野地は1916年7月12日、ワシントン州シアトルで妻・アサヨと結婚した。                        翻訳注:この文書は、現代日本語と英語に翻訳されている。

Noji, Kichizo, 1884-1968

大坪Kから安井益男への手紙、1916年6月27日

大坪Kから安井益男への 1916年6月27日付けの手紙。その中で大坪は、シアトルの旭野球チームが7月4日にフッドリバーで試合をしたいので、益男に地元の野球クラブと交渉して手配するよう要請している。
翻訳注:この手紙は、現代日本語と英語に翻訳されている。

Otsubo, K.

大坪Kから安井益男への手紙、1916年7月2日

大坪Kから安井益男への1916年7月2日付けの手紙。 大坪は、旭チームが同日午後4時50分の列車に乗り同日中に帰宅できるように、シアトル旭チームとフッドリバーチームとの野球試合の開始時間を、午後2時30分から午後2時に変更することを要請している。
翻訳注:この手紙は、現代日本語と英語に翻訳されている。

Otsubo, K.

安井品太郎・つやから安井廉一・益男への手紙、1916年11月16日

1916年11月16日付の安井品太郎・つや夫妻から藤本廉一に宛てた、帰国を促す書簡。廉一の養父の死と養母の体調不良を記し、藤本家および廉一が渡米した際に日本に残った妻松代への義務を無視した廉一を叱責している。文末には、安井益男と家族への手紙として、これまでの通信を認め、彼らの健康を祈っている。
翻訳注:この手紙は、現代日本語と英語に翻訳されている。

Yasui, Shinataro, approximately 1853-

岡崎恕平の住民票申請書下書き、1916年11月

在ポートランド日本領事館に、家族の用事で日本に戻るための臨時パスポートの発行を依頼する岡崎恕平の在留届のコピー(下書き)。岡崎は香川県から移住し、オレゴン州フッドリバーに住居を構えていることが記されている。この書類と2枚目の草稿は安井益男が保管しており、安井が岡崎にこの申請を手伝ったものと思われる。
翻訳注:この文書は、現代日本語と英語に翻訳されている。
 

Okazaki, Johei, approximately 1884-

安井益男から金三商会への手紙 1917年2月10日

1917年2月10日付の安井益男から金三商会への手紙 。この手紙の中で安井は、カルシウムコーティングされたファンシーライス50俵の注文をし、米袋に安井兄弟の商標ロゴをステンシルすることを要求している。
翻訳注:この文書は、現代日本語と英語に翻訳されている。

Yasui, Masuo

安井益男が日本領事に宛てた反日法案撤回に伴う手紙の下書き、1917年3月21日

安井益男が赤松(赤松祐之)日本領事に宛てた反日法案撤回に伴う手紙の下書き 。この手紙はフッドリバーの日本人住民一同からとして書かれたもので、オレゴン州上院議員ジョージ・R・ウィルバー氏(フッドリバー在住)が提出した日本人のオレゴン州での不動産所有を制限する法案を撤回するよう赤松領事が尽力したことに感謝する旨が述べられている。この法案は、カリフォルニア州で可決された同様の法案に倣ったものであった。
翻訳注:この文書は、現代日本語と英語に翻訳されている。

Yasui, Masuo

木下利から安井益男への手紙2通、1918年

木下利から安井益男への手紙2通。最初の手紙では、木下が休戦記念日のシアトルでの活動を紹介し、スペイン風邪の状況について述べている。そして、日本に帰国するための出国許可証の到着を待つ間、益男に経済的援助を求める。2通目では、スペイン風邪がシアトルに与えた影響と妻の回復について述べ、益男の妻の安静と療養を願っている。
翻訳注:この文書は、現代日本語と英語に翻訳されている。

Kinoshita, Tadashi

安井益男から片岡喜親への手紙 1921年4月9日

安井益男から片岡喜親への1921年4月9日付けの手紙。この手紙の中で益男は、オレゴン州議会での土地排除法案の提出について述べている。法案が下院を賛成多数で通過したが上院を通過しなかった唯一の理由は、上院議員が日米交渉期間中に法案を一時延期するよう指示されたからだと述べている。益男は、立法府が近い将来反日法を可決してしまうのではないかという懸念を表明し、そのような排日法が近隣のカリフォルニア州やワシントン州ですでに存在しているという事実に注意を喚起した。彼は最後に、最後まで懸命に闘う決意を述べ、アメリカ人はどうしてこの国を公正で人道的な国家と呼べるのだろうかと疑問を投げかけた。その他の話題としては、共通の知人の近況、果樹園経営の難しさ、反日感情の高まりへの懸念などが書かれている。                    翻訳注:この文書は、現代日本語と英語に翻訳されている。

Yasui, Masuo

石川末吉から安井兄弟商会への手紙、1921年4月

石川末吉から安井兄弟商会への1921年4月付けの手紙 。石川は、安井兄弟にヤップ島の支配権をめぐる緊張の高まりなど日米関係の見方を尋ね、米国が同胞の既得財産権を剥奪することへの安全上の懸念と不満を表明している。これらの行動は、日本の発展を妨げる口実を作るものであるとし、米国の傲慢さを強調するとともに、欧州、中国、韓国、ロシアにおける偽善の問題を強調している。その他、家族に関する近況や最近の病気など、手紙の内容は多岐にわたる。
翻訳注:この文書は、現代日本語と英語に翻訳されている。

Ishikawa, Suekichi

安井益男から平岩淳三郎への手紙、1921年7月27日

1921年7月27日付の安井益男から平岩淳三郎への手紙。この手紙の中で、益男は家族の近況を伝え、林檎市場の状況、オレゴン州議会での日本人排除法案の状況とそのような法案の増加に対する落胆、一部の農産物の経済的困難と価値の喪失、反日傾向の圧力について述べている。
翻訳注:この文書は、現代日本語と英語に翻訳されている。

Yasui, Masuo

安井益雄の安井由紀葬儀のスピーチ、1922年

安井益雄の安井由紀葬儀のスピーチ 1922年。お見舞いや訪問、葬儀への参列に感謝の意を表し、夜空の星のように輝く由紀の姿を思い浮かべながら、由紀についての考察を述べている。なお、このスピーチの下書きが3ページ目から6ページ目にかけて書かれている。
翻訳注:本書1-2ページのスピーチ最終稿が現代日本語と英語に翻訳されている。

Yasui, Masuo

三宅から安井徳次郎への手紙と入国状況報告書、1922年頃

1922年9月、三宅家から安井徳次郎への手紙と、安井徳次郎が記入した出入国状況報告書。この手紙の中で三宅は、安井徳次郎の入国証明書と、領事との交渉のために安井徳次郎が記入する入国状況報告書について述べている。2枚目、3枚目は入国状況報告書で、経歴、事業、資産、家族などの情報が記載されている。申請の目的は、"妻と長女を呼び寄せるため "と記載されている。
翻訳注:この文書は、現代日本語と英語に翻訳されており、報告書のうち、回答が書かれている部分のみ翻訳されている。

Miyake family

空閑萬太郎から安井益男への手紙 1923年

空閑萬太郎から安井益男への1923年4月8日付けの手紙。この手紙の中で萬太郎は、自分の林檎園の敷地境界に関する紛争を解決するために、敷地境界に関する書類を確認し、切り倒された木がアーリー氏の敷地内にあることが判明した場合、もう一方の所有者であるアーリー氏(おそらくチャールズ・アーリー)に支払うよう益男に依頼している。萬太郎は直接会って話をしたいが、自分は散布の最中であるため、益男にあらかじめ自分の名前でアーリー氏に詳細を送るよう依頼している。この文書には、アーリー氏が空閑氏に宛てた1923年4月2日付の英文の書簡が添付されており、その中で、自分の所有地から木材が切り出されたこと、送金を要求することが書かれている。
翻訳注:1ページと2ページ目の日本語の手紙は、現代日本語と英語に翻訳されている。

Kuga, Mantaro

石川幹から安井益男への手紙、1924年8月16日

1924年8月16日付の石川幹から安井益男への手紙。この手紙の中で石川は、橘高氏、そして自分自身のアメリカから日本への航海について述べている。裏面は、英語で印刷された夕食のメニューである。                            翻訳注:この文書は、現代日本語と英語に翻訳されている。

Ishikawa, Motoki

イチゴ生産収益報告書、1919-1924 

1919年から1924年までのイチゴ栽培の費用、収入、支出をまとめた安井益雄の手書きの報告書。カテゴリは、エーカー、労働賃金、経費、家賃または税金、収穫量、イチゴの総収入等。       翻訳注:この文書は、現代日本語と英語に翻訳されている。

Yasui, Masuo

小田梅七から安井益男への手紙、1924年頃

2月8日付の小田梅七から安井益雄への手紙。この手紙の中で小田は、暖かい春の到来とは対照的に、カリフォルニアの反日法がもたらした冷たい感情を論じている。また、3月か4月に日本へ帰国するため、金融機関の連絡先を教えてほしいとも書いている。この手紙は2月8日に書かれているが、年は特定されていない。カリフォルニア州の1924年移民法について触れていることから、1924年に書かれたものと思われる。                     翻訳注:この文書は、現代日本語と英語に翻訳されている。

Oda, Umeshichi

在ポートランド日本帝国領事館からの日本の兵役徴兵に関する通知、1926年11月10日

1926年、在ポートランド日本帝国領事館から、日本兵として徴兵される人への通知。通知の内容は、徴兵適齢期および徴兵延期の申請が必要な者について、徴兵適齢期および徴兵延期申請の通知手続き、在留証明書の発給期間、在留証明出願手続き、在留登録など。
翻訳注:この文書は、現代日本語と英語に翻訳されている。

Japan. Sōryōjikan (Portland, Or.)

オレゴン州日本人会から安井益男への手紙

オレゴン州日本人会から安井益男への手紙。オレゴン州日本人会教育部が、フッドリバー、パークデール、ディーを訪問し、この地域の第二世代の教育に役立てるため、コミュニケーションを確立することを提案している。
翻訳注:この文書は、現代日本語と英語に翻訳されている。

Japanese Association of Oregon

松井頼定から安井益男への手紙、1927年3月8日

ポートランド領事館の松井頼定から安井益男への1927年3月8日付けの手紙。 手紙の中で松井は、日米親善を促進するための昼食会の効果について述べ、このイベントを報じた新聞記事が、排日土地法の緩和に関する世論に影響を与える一歩となったことを指摘している。また、排日土地案に反対しているフレッチャー下院議員に会うため、インディペンデンスに行く予定であることを述べている。また、オレゴン州ザ・ダレスでの日本語学校建設に関する最新情報も書かれている。松井はこの手紙では肩書きも領事館の公式文具も使っていない。
翻訳メモ:この文書の抜粋部分が現代日本語と英語に翻訳されている。

Matsui, Yorisada

藤本廉一から安井益男への手紙、1927年7月18日

藤本廉一から安井益男への1927年7月18日付けの手紙。この手紙の中で、廉一は益男に病気の回復具合を尋ね、自分の体に特別な注意を払い、元気になるようにと伝えている。また、賃金支払いのために、益男に5、6枚の小切手にサインするよう求めている。
翻訳注:この文書は、現代日本語と英語に翻訳されている。

Fujimoto, Renichi, 1883-1965

藤本廉一から妻松代への手紙、1929年11月22日

藤本廉一から妻松代への 1929年11月22日付けの手紙。この手紙の中で廉一は松代に養母の死の知らせに深い悲しみを表現している。廉一はアメリカから横浜に到着し、神戸、岡山、七日市と移動する予定であることを伝え、松代を岡山で一泊して一緒に買い物をしようと誘う。ただし、これは死別のための訪問なので秘密にしてほしいと頼み、帰りに千代子を訪ねることができるとも伝えている。
翻訳注:この文書は、現代日本語と英語に翻訳されている。

Fujimoto, Renichi, 1883-1965

安井益男から藤本廉一への手紙、1930年7月22日

安井益男から藤本廉一への1930年7月22日付けの手紙。 この手紙の中で益男は、敬が蚊に刺されたことが原因で病気になったが快復したこと、安井兄弟商会の新店建設の進捗状況と旧店を取り壊す前に全てを移転する予定、建物の特徴や空間の分け方、その年の不況を踏まえた総事業費等について述べている。また、家族、果樹園の商品、ビジネスに関する最新情報、反日感情の高まりに対する懸念、廉一が使用するべき英文レターのサンプルも含んでいる。
翻訳注:この手紙の抜粋部分は、現代日本語と英語に翻訳されている。

Yasui, Masuo

安井益男から藤本廉一への手紙、1930年10月26日

安井益男から藤本廉一への1930年10月26日付けの手紙。この手紙の中で益男は、不況とその一般商業界への影響、今年の林檎と梨の収穫と市場、安井兄弟商会の新しい建物の正面ショーウィンドウの交換と歩道のリニューアルや2階の工事、レストランとガソリンスタンドのある新しい建物の賃貸契約、地価上昇につながるフッドリバーの街の外観に関する考察、柿沢氏からの長く熱い手紙を受け取ったこと、などを伝えている。その他の話題としては、廉一の米国への再入国に関するアドバイスや、町、家族、友人、果樹園の製品、ビジネス等の近況などが含まれている。
翻訳注:この文書は、現代日本語と英語に翻訳されている。

Yasui, Masuo

ポートランド日本領事館から安井益男への手紙、1930年11月17日

1930年11月17日付のポートランド日本領事館から安井益男への手紙。領事館の公式便箋に印刷された手紙には、安井益男の名前だけが手書きで書き込まれている。日本政府管轄の現地在住邦人調査への協力に対するお礼と、記念品として国勢調査の記章を送付することが記されている。
翻訳注:この文書は、現代日本語と英語に翻訳されている。

Japan. Sōryōjikan (Portland, Or.)

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